プロフィール

スタッフ

最近のコメント

最近のトラックバック

もっとお店のブログを見る

メイン | 男前のブタ達 »

2012年7月26日 (木)

ぶたれい  作:AIR田さん

「私はね、ここで豚から人間に生まれ変わったことがあるんだよ」
 サクサク。サクサクと、衣を噛む軽快な食リズムがとんかつ伊勢に響き渡り、それに耳をかたむけていると、いつの間にやら隣に座っていたおじさんが僕に話しかけてきた。
 あのう、他に空いている席があるんですけど、と言おうか言わないか迷っていたが、でも多分言えないだろうと思っていた。
「豚だった頃が懐かしいよ。あ、決してとんかつになるのが嫌だったわけじゃないよ?」
 やっぱりそうだった。僕はおじさんの話しに耳をかたむけてしまった。
「ふんふん。にわかには信じられない話ではあるね」
 でもね、とおじさん。少し口が臭い。
「君は信じてくれるだろうと、僕は店に入って直ぐ思ったね」
 どうしてだろうか。おじさんの言っていることは荒唐無稽なのに、僕は返事も返さずに聞いてしまっている。いいのだろうか?
 気が付くと、さっきまで聞こえていたサクサクという音は消え、それどころかさっきまでいたお客さんもいなくなっていた。
「こんな話しを知っているかい?」
 おじさんは、顔中に脂汗を浮かべているであろう僕を無視するかのように話し続けた。僕のことが見えているのか?急に怪しくなってきた。
「大丈夫。見えているよ。私には見えている」
「ぶ」
「おっと。今は言葉を発するタイミングではない」
 おじさんは僕の鼻に手をあてた。
「万物にはね、それぞれ意思があるんだ。おっと。決して怪しい勧誘ではないよ。僕はそういった話が大嫌いだからね。これは事実だ」
 そんなこと言われても、困る。
「僕はとんかつを食べに来ただけです」
 まるで初めて話すような感覚が、僕の体を通り抜けた。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。うん。願望ってこともあるね」
 その言葉を聞いて僕はいい加減にしろと叫びたくなった。
「ぶ」
「人の話は最後まで聞くもんだよ。おっと、僕は元豚だった」
 おじさんがそう言って一人で笑った途端、聞こえなくなっていたサクサクという衣を噛む音と、いなくなっていた店員さんとお客さんの姿が戻っていた。
「あら。もう時間が無い。えぇい」
 おじさんはそう言うと、テーブルに置かれていたビールを一気に飲み干してゲップをした。とても人間らしい行動だ。とても人間らしい。
「一つ謝ることがある。僕は元豚じゃない」
 ほらみろ。そんな話が。
「元豚なのは君だ。いや」
 また豚になる。
 おじさんのその言葉を聞いた途端、僕の目から涙が零れはじめた。視界はにじみ、目の前のおじさんがどんどん遠くなっていく。金色に染まるおじさんの顔。駄目だ。もう何も見えない。
「ぶうぶう」
「万物には意思がある。それはとても強い力だ。人が宇宙へ行きたいと願い、そしてそれを叶えたように、君はそれが出来たんだ」
「ぶうぶう」
「たった一瞬だったかもしれないが、君はとても幸せな豚だ。食されることに疑問を感じた君はとても尊い」
 ぶうぶう。
「君は、とても幸せだった」

「お待たせしました。ロースカツ定食になります」
「どうも」
 サクサク。サクサクと、衣を噛む軽快な食リズムが、とんかつ伊勢に響き渡る。
 私はその音を、とても愛している。

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

伊勢 新宿野村ビル店 のサービス一覧

伊勢 新宿野村ビル店